鳥取県出身。昭和56年生まれ。
木薫創業メンバー。森林整備部、営業部長を経て令和4年1月に常務取締役に就任。
息子が2人いる。
創業時は僕と社長しか営業がおらんかったから、林業と営業の二足のわらじだった。
営業やるから林業をおざなりにはしなくて、林業も極めようと本気で思ってた。
林業は覚えることがいっぱいあって、そのためには知識、経験、技術の研鑽がいる。今だったら作業道を付けるにも重機で道を付けながら木を切れるけど、当時はチェーンソーマンの先行伐倒が必要で、山の風景を見ながら頭の中で想像して工程を考えながら仕事をしてた。どうやったら倒しやすいか、集材しやすいか、自分の体力を温存しつつ効率よくできるか、安全にできるかって。
山仕事行ってる時は営業のことは一切考えないんだけど、事務所に戻ってきたら営業のことを考える。
営業専属になったら、目の前の仕事をやってた感じかな。
「山はね……」っていう話を先にして売っていこうとしてたから、全然売れなかったんだよね。
先に山の話をするんじゃなくて、お客さんの需要をキャッチして欲しい物を作って問題解決すれば売れるってことに気づいて。
最初は保育家具のノウハウも溜まってなかったから安全に使えるか手探りで設計して、実際に手も動かして作ってたし、今度は営業と木工の二足の草鞋になってたかな。
営業部長になると自分だけじゃなくなってくるわけ。プレイングマネージャーとして自分も営業するし、人を動かしていかないといけないし、数字を管理していかなきゃいけない。
書類の承認をまず先にやってあげないと部下の業務が滞るわけじゃん。全部終わってから自分のこと、みたいな。自分の仕事よりも人の管理のほうが多くなってきたあたりは精神的にしんどかったかもしれんね。
管理職になってからは視座が変わってきて、人を見て能力を測る視点が入ってきたんだなって自分でも分かるようになってきた。
そのうえで営業目標を立てると会社としての目標になるわけで。来期の売上目標を決算3か月前には逆算して出すとか、その裏で社長との折衝・交渉だったり、1年先ぐらいまでを見通せるようにはなってきたかな。
視座の変化は常に付いてまわるね。
取締役になったら保育事業にも関わるようになって、考え方が丸くなったように思う。
取締役になると言葉の責任が重くなるから、立場上言いたいことも言えなくなるわけ。だから法律にも詳しくないといけないし、経営全体、総務、給料、外部の税理士さん弁護士さん社労士さん設計士さんともやり取りして、社長の代弁をしつつ自分の意見も交えつつ話す。
いろんな外部との繋がりが必要になってきて、ミクロだった視点がちょっとずつ広くなっていく。その代わり全体的に浅くなっていくって感じ。会社の代表として伝えるわけだから、視界は広く浅くだけどプロと会話できるレベルまで知識を高めないといけない。
いろんな分野の外部の人と話す機会が多くなって、外部の人が従業員のことを褒めてくれたり頼りにされた時に嬉しさを感じる。
「ようやってくれとる」「子供に丁寧に関わってもらえる」
そう思ってもらえるように従業員に厳しく言うのかもしれん。
応援したいなって思うのは、自分が一回決めた環境を貫ける人かな。
以前は新人教育って全部僕だったのね。もしもあなたが種で砂漠に落ちたらどうする?って聞いてた。砂漠は雨もないからって移動するんじゃなくて、サボテンの花になればいいじゃんって言ってたんよ。
ここがいいって決めたらとりあえず辛抱して、そこでどうやって自分を成長させられるか、貢献できるか、その場で自分はどんな花を咲かせようかって踏んばって努力できる人かな。
会社にしてほしいことがあるんだったら、してもらえるように自分が動く。自分の発信が認められるようになってから変えればいい。
そんな人ってめちゃくちゃできる人で、なかなかいないんだけどね。